土橋牧師との対談 第2回 2025/04/04

 お隣のご主人が亡くなって、その日に義父母のところに会いに行って、ええ、会ったりとかして、その日にちょっと集中しちゃって、その日を境に、ちょっと具合悪くなりまして。ええ。で、そっから1週間ぐらいは具合が悪くて、薬を追加してもらって。ここ2日ぐらいで持ち直して。


そうですか。


はい、今日も来れないかなと。ちょうど間に合いました。

間に合わない時は間に合わないで大丈夫ですので。

はい。ええ、無理はなさないで。

お隣のご主人、62歳だったんですけど、若かったですよね。で、自分が、やっぱりどうしても、こう、お隣さんなもんで、そんなに付き合いはなかったんですけど、うん、ここでその、葬儀に出た方がいいんじゃないかっていう風に、ある人からアドバイスされてたら、どうしても自分は葬儀とか出られなくて、妻に出てもらおうと思ったんですけど、ちょうど、その、隣っていうか、どっちの隣って言うんだろ・・・
ええ、もう一つ隣の方が、昔から住んでる人で、その人は、結構付き合いがあったってことで、葬儀に行くって言ったので、香典だけ持ってってもらおうと思って、それで結局、行かないで、香典だけ渡すことにしたんですけど、それで、その人のことはそういうことにしたんです。

そういうケースありますからね。

そうですね。だから、これから、そういうケースというか、これから死に直面することがだんだん増えてくる。
自分の年齢的にそうなってきたり、1番近いところではやっぱり父と母がだいぶ衰えてきて、父は透析やってるんですけど。


そうですか。

なんかこう、合併症じゃないですか。
透析の影響はやっぱり出て、心房細動もしたりしてて。


そうですか。


もう、ほんとに命かけてやってるような感じなので。
ええ、もういつ亡くなってもおかしくないんじゃないかっていう、思っていて。ええ、そういう順番からすると、そういうことなのかなとは思ったりしてるんですけど。

お父様は今おいくつぐらい。今?


えっと、76ですかね。

ね、もうちょっと頑張ってほしいって。

はい、元々腎臓が悪くて。


そうですか。


で、もう若い頃から腎臓悪かったんですけど、医者にかからなかったんです。


はい。


なかなかケアできなかったところもあったんで、自分もいつか透析やらなきゃいけないっていう風になるって思っていたんですけど、それがいつになるかっていうので。で、ちょっと僕は、腎臓内科には通ってるんですけど。


結構、食生活もね。

そうですね。僕は、今のところ、食生活制限ないんですけど。


そうですか。


その、飲んでる精神薬が、腎臓を悪くするっていうか、腎臓で代謝する薬なので、腎臓に負担がかかっちゃうので、それで、ちょっとクレアチニンの値が上がっちゃったりとかして、精神科入院中はちょっと、入院の先生は、それよりも、その、精神の方っていうことを優先したもんで。

はいはい。


腎臓が悪くなっても、とにかくこの薬は飲み続けなきゃいけないみたいな感じの先生だったので、ちょっと、どうにもできなくて。

で、退院して、やっとそこら辺のところを分かってもらえる先生になって。

はいはい、そうですよね。

あれ。今日はなんか宿題みたいのあったでしたっけ。

い、いや、ないです。私の方で何か考えなきゃいけないと、お答えしなきゃいけないことでしたか?


いや、い、いいですかね。はいはい。


そうですね。うん。


■死のストレスと葬儀の対策


まあね、今、死ということで、だんだんね、そういう機会が多くなるっていうような話ですけど、でも、今回はそうやって香典お渡しするっていうことでね。はい、大丈夫だったんじゃないかと思いますし、今、コロナ以降ね、結構お葬式って言っても、あんまり人数多く集まるっていうことはあんまりなくなってきて。
あ、そうね。それで、だいたいお葬式って言っても、もうその、お葬式の前のとこに、なんだ、焼香台とかね、はい、そういうのが置いてたりして、そこでこう焼香あげて気持ち表す、それで香典渡して終わりとかっていう方もいますし。
はい。それから、こっちだと、ご遺骨にしてからお葬式っていうケースもあって、実際に死体を見ないこともね、多いんですよね。


はい。なんかやっぱり、その昔うちでこう死を迎えていた人たちが、そういうスタイルっていうのはなくなってきてしまったんですよね。


家族で死に直面するような機会がね、少なくなって。


そうですよね。で、僕みたいにこう死を怖がったりとかっていうことを起こしたりする人が増えたんじゃないかっていう気もあって。
確かに、自分も最近では祖父の葬式と、それから義理の弟のお嫁さんのお父さんが亡くなった時に実際に死体を見たんですけど、その時はそんなに近くでもなかったし、触ったわけでもなかったから、遠くでご遺体を見て、焼香だけして帰るっていうような形だったので、そんなに恐怖を、こう、うん、駆り立てられずに済んだのかなっていう気がして。

はい。

でも、今度、そういう父母と義理のお父さん、お母さんとかが亡くなるとかっていうと、どうしたって死体を見ないわけにいかないし、葬儀に参列しないわけにはいかないしっていうのも、そうですね、うん、で、心の準備というか、いくらそういうことをイメージしても、実際にこう遺体にこう、立ち会ってみないと、うん、恐怖感って湧かないような気がして、リアルに、こう、うん、それで、どうなるのかっていうことなんですけど。なかなか死っていうものに、こう、慣れるというか。うん、そういうことって、医療関係とか。ええ、そういう人達じゃないと、うん、慣れるというか、数多く死を見るってことはできないと思うので、うん。

でも、慣れるのがいいとも限らないですよね。それから、看護師さんでも、なんていうかな、例えば、こども病院ってありますよね。はい。で、こども病院の看護師さんっていうのは、働く中で、結構、やっぱり子供で亡くなる人が多いんですって。
そうすると、やっぱりすごくこう、虚しくなって、それで、結構、こうなんだ、職場を変えてく人が多いっていうか、ずっとそこで働き続ける看護師さんってあんまりいないって言うんですよね。
やっぱり交代してく。だから、やっぱり死っていうのはそれなりにストレスを感じるし、誰でもやっぱり慣れるというよりは、医療関係者であっても、慣れるというよりは、やっぱりそこで葛藤したり、なんでこんな小さな子供が死ななきゃいけないんだろうとか、この子は何のために生まれてきたんだろうとか、そういうことを考えざるを得なくて悩んでしまうとか、あるいはそういうのもちょっと限界って感じになる方もいるっていうんですよね。
うん、だから、そういうとこでこう、じゃあどういう風にこう考えていくかって、やっぱりみんな問われてるようなとこあるし、でも、そうやって、死っていうのはやっぱなかなか受け止めきれないもんなんだなっていうのを知っておくだけでもいいのかなとか。
あるいは、それを周りの人にもこう少しわかってもらえるようにしておけば、なんていうかな、例えば身近な人が亡くなった時に、義理のお父さんやお母さんとか、自分のお父さんお母さん亡くなった時にも、いや、ほんとは見送んなきゃいけないとは思うけど、ちょっとそういう心の準備できてないから、ごめんねっていうしかないかもしれないし。

うん、そうですね。

そういうのをちょっと周りの人にも話しておくしかないかなっていうのが、1つの備えかもしれないですよね。

うんうん。仕方がないですね。そういう風に言うしかないですよね、僕は。そうじゃないと、その、葬儀の場面で具合悪くなって。

うん。いろんなケースがあって、もちろん死体そのものとかで具合悪くなるケースもあるし、あるいは、人がたくさんいる、なんか身近に、そして、なんか一方向向いて黙っているとか、そういうのだけでも緊張してダメだとか言ってね、うん、ちょっと席外しますなんていう人もいたりするし、そういうのは昔に比べると結構みんな受け止められてく時代なんじゃないかなって感じはしますよね。
うん。一昔前だとね、なんだあいつはなんていう声もあったかもしれないけど、いろんな人いるし、具合悪くなったんだなって、お大事にっていう感じでね、うん、思うケースの方が多いような気がしますけどね。


■精神疾患と理解


こういう風に、死を恐怖、死の恐怖っていうか、タナトフォビアっていうか、自分の死を恐怖に思うのと、その、ネクロフォビアっていって、その、他人の死を恐怖に思ったりとか、仏具、葬儀用具などを恐怖に思ったりとかっていう2パターンで、その、僕みたいに、こう、精神疾患を患っていなくても、健常の方でも、その、タナトフォビアやネグロフォビアになるっていう風なことを、その、タナトフォビア協会っていう協会を作ったその方が話していて、その人は看護師なんだけど、自分の死の方が怖いっていう、おっしゃってるんですけど、だから、その、周りに理解してもらうためには、なんだろう、その精神疾患を理解してもらわなきゃいけない部分もあるのかなとか思うんですけど、それがもう厳しくて難しいことで。
うちの親戚関係に僕はうつ病でという風に話が言ってるんですけど、うん、じゃ、うつ病って何?っていう。


そういう人がいるんだね。


ただ、知らないで、「そっか、うつ病って言えば、そのまるまるちゃんちの誰々が自殺した病気じゃん。」みたいなことをそのお母さんが言ったりとかするんですけど、僕が1年ぐらい入院していて、その、初めてこの前、会った時に、これは気遣いかもしれないですけど、僕の病気のことを言う人は誰もいなくて。
で、娘が高校受かったので、「まるまるちゃん高校に受かってよかったね。」っていうような話で終わって。
僕のこと何にも触れずっていうのは、わざとなのか、それともほんとに忘れてるのかわからないですけど。
だから多分こう、妻に言わせるとメンタルな病気と対極にいるような人たちばっかりなので、なんて言うんでしょう、メンタル的に強い人々の集まりなんで、妻の側の人々が。
だから、そういうメンタルな病気って言っても全然わかんないっていうか、あるいは偏見があるのかわからないですけど、触れられたこともなくて。
うん、これはちょっと理解してもらうっていうのも厳しいなっていう感じがして。
うん。その、死のことについても、妻に説明してもらうしかないだろうなとは思ってるんですけど。

こういうわけで出られないんだっていうこと、話すしかないだろうねえ。

やっぱりそういう理解っていうのはなかなかね。
自分のことのように、あるいは自分の身近にもっとそういう人がいればわかってくるかもしれないけど。
そうですね。でも、今は結構そういう方が多いかなって思ったりもしますけどね。
私も会社にいた時も2人ぐらいね、後輩でそういう、うつ病あるいは精神疾患でね、随分休職したりとかしてた方もいたし、やっぱり逆にうつ病あるいは統合失調症とか、お医者さんなんかは、いや、もう誰でもね、なるような病気なんですよって言って、言ってくれる人の方が多いし、だから強い人、弱い人なんてないんですよって、環境によっては誰でもなりうることですからって言ってね。
そういう、なんだ、精神の風邪とか言ったりね。
うん、だいぶそういう点では、色々そういう理解は世の中では進んでんのかなとか思ったりもしますけどね。
そうですね、前よりは確かにカミングアウトしやすいというか言ってました。皆さん。だって、昔はほんと、精神病とかっていうと、もう閉鎖病棟みたいなとこですかね。怖いとかね、そういうイメージがあったけど、必ずしもそうじゃないなってあるし。
心療内科とか精神科とか、色々そういう相談の窓口もね、増えてるし、その強そうに見える人も逆に見ないふりしてるっていうことかもしれないし。
ええ。それから、一見強そうに見える人とか、あの人が、なんていうかな、こう、なんでも積極的にやってるような人が、却ってうつ病になったり、精神的な疾患になってるケースもあったりして。
だから、そういう見た目の強さとかなんかとは違うものがね、やっぱりあるかなとは思いますしね。

ね、そうですね。うんうんうん。誰が確かになるかわからない病気っていう風にはなってきたし、精神科も敷居が低くなって、うん、誰でも受診できるようになって、今、爆発的に増えてるっていうか、受診の人が、この辺の本山地域の精神科のクリニックとかも結構いっぱいのところが多くて。

いや、牧師仲間でもね、やっぱりうつになっちゃう人とかいて、まあ、結構、1回休職してね、その間、色々付き合いとかあった人いるんだけど、やっぱり彼も、その、うつ病になった時、自分がなるのかって思ってね。
僕は自分はならないと思ってたのに、なるんだと思って、最初はショックだったけど。
で、お医者さんにかかりながら回復してくれば、ちゃんと、なんていうの、仕事に戻りたいっていう気持ちになりますよとか、そういう風にサポートされて、最初は焦ってたけど、やっぱり休むのはもう、あなたの仕事ですなんて言われて、ほっとして、じゃ、思い切って休んでしまおうって休んで、で、そのあと、復帰して、半年、10ヶ月ぐらいかな、職場休んで、復帰して、で、あとは大丈夫になりましたね。
で、職場の方も、やっぱり色々こういうことが負担になってたんだっていうことを理解してくれて、うん、色々配慮した感じになったんで。
で、やっぱり、そういうことがやっぱり大事なのかなって感じがしますよね。
だから、なんか、精神的な病を克服しようとかっていうよりは、そういうのに合わせて、やっぱりみんな、多かれ少なかれみんなストレス抱えている社会で、うん、少しでもそういうものを解放するとか、あるいは、ストレスがあったとしても、それをちゃんとこう誰かに話して、少しでもこう和らげられるようなねことが大事なんだろうなって思いますよね。

そうですね。うつ病の場合は、寛解する割合が高くて、ちゃんと服薬して休養を取っていれば治る、いわゆる治る病気っていう風に言われてて。
で、僕みたいにこう、躁鬱みたいに躁が入っちゃうと、やっぱり寛解が難しくて、やっぱりこう、気分の波をどれだけさざ波に変えるかっていう風なことに治療の主眼が置かれるんですけど、そん中でもやっぱり自分、もう1年近く働いてないですけど、やっぱりどうしても働きたい気持ちっていうのもあって。
やっぱり家計も妻だけに働かせてるのは厳しいし、だからといってちょっと無理はできないし。
そういう中で、こう自分に合った働き方で、こう仕事が見つかればいいなとは思うんですけど、自分にあったそういうものを探すっていうのはなかなか大変で。
障害者雇用っていうものをするのか、それとも一般就労で病気をオープンにして、うん、就職活動するのかっていうのはまだ決まってないんですけど、その辺のところは最終的な目標ではあるんですけど、なかなか治るっていうことがないので、うんうん、そこを見てるとちょっと苦しくなってくるんですけど。

そうですね。

お薬飲んでコントロールするっていうことに主眼を置かれてるっていうか、そこはやっぱうつ病とは違うなっていう風には思いましたね。
何回でも気分の波がやってくるっていうのは、うつ病とは違っている点で。


大変ですね。そうですね。


■精神疾患、発達障害の方が生きやすい社会とは?


あのね、そういう精神的な疾患もそうだし、いわゆる発達障害とかそう言われる方々もそうだけど、その、そういう人たちだけを受け入れるっていうよりは、そういう人たちが生きやすいとか受け入れられる社会っていうのは、そうじゃない人たちも逆に受け入れられてくっていうことがあるかなとは思っていて。
だから、病気であるないに関わらず、自分のそういういろんなものがこう周りに受け止められていく、あるいはそういう人を自分も受け止められるようにっていうのが最終的なとこかな。
だから、病気をなくすっていうよりは、やっぱりそういう1人1人いろんな考え方とか感じ方とか違う、それを許容していくことができれば、もうちょっと生きやすくなるのかなって感じはしますね。
だから、こんなこと言っちゃあれだけども、精神科や発達障害とかっていう人たちは、ある意味でそういう社会に向かう1つの、こう、モデルみたいにね、モデルとか、あるいはそういうことに、なんていうの、寄与するというか、貢献しているっていうことになるのかなって思うんですよね。
いや、結構その、発達障害のね、いろんなこう、どういう人が発達障害とかっていう、こう、項目分けたりするけど、誰でもやっぱり何らかの、こう、こだわり持ってたりするし、こう、ちょっと苦手なことがあったり、どうしても難しいとか思うことがあったりするしで、そういうのは、直接的にはなんか診断とかつかないことであったとしても、自分はこういうもんなんだなっていうことが、ちょっとでもこう周りにわかってもらえると、やっぱり無理しなくてすむかなと思うしね。

そうですね。発達障害もこう、こっからここが発達障害で、こっからここが健常者っていう分け方じゃなくて、このスペクトラムですよね。

そうですよね、連続体であれしてるので、すごいこう発達の要素が薄い人もいるし、濃い人もいるしっていうような感じで、どこからどこまでがっていう線引きはできないから。


そうですね、はい。

そんな風にね、精神疾患のことも少し、例えば病気っていうかと、こっからが病気、こっからがあれでって、必ずしもこう分けられないっていうね、あったりするし。
誰だってちょっとハイな気分が上がって、ハイな時もあれば、落ち込んでっていう時もあるし。

そうですね。

僕はやっぱりね、大学の時にね、どっちかというと大学の時に入ってた寮の、いまでも思い出すけど、みんなほんとに個性的で、変わってる人たちだったなって思うんですよね。
そういうとこで、なんかこう、鍛えられたというか、変わっていたっていうか、普通って何?っていうのが、なんかこう、ちょっと自分の中では外れたかなっていうか。今まで普通に生きればいいんじゃないって言ったけど、その普通って何よ。っていう感じになってね。普通ってなんだろうとか、普通なんてないなっていうか。
ある1つの枠を決めるだけで、ほんとはそんな普通なんて、なんかそれは人それぞれかなとか思うしね。
ただ、個性とかって言っちゃっても、やっぱりなかなか強い。
個性が強い人とか、そういう人を必ずしも受け入れられるかっていうと、受け入れられない面もあったり。
うん、なんで、難しいことはあるんだけども、でも理想的にはそういうのが受け止められていくのがやっぱりいいなと思うし。

そうですね。

お嬢さんは?高校に入って楽しそうにしてますか?まだあれか、入学式まだか。

休みを満喫してるって感じですかね。

入学式は明日です。


そっか、小学校、ここの小学校が今日入学式したなと。

それで、あれなんだ、そういう子供たちがいたのを車から見てたんですけど、今日入学式なのかなって。


明日、うちの娘は高校入学式で、僕も行きたいと思ったんですけど、診察と重なっちゃって。

そうですか。


ちょっと行けなくて。ああ、あれだったんですけど、今年はちょっと大変でしたね。
卒業式は雪が降って。


そうだったんですね。

午前中だけ雪が降るっていうのが最悪のあれで。
はい、ビチャビチャチャビチャで、僕は車の運転手やって出れなかったし、入学式出ようと思ったら診察と、ちょっと私は無理だなと思って。
でも、娘は、うちでごろごろしてたりとか、友達と遊んだりとか、うん、色々満喫してはいます。

よかったですね。だんだんもうね、色々教科書とかいろんなの買って。

そうですね。うん、色々揃えて、

他に何かこう、気になることとかありますか?
ちょっと聞いてみたいと。

そうですね、なかなかこう、精神科では、うん、死のことは、なかなか扱ってもらえないっていうか、話題にできないですかね。話題にならないというか、うーん、お薬を処方してもらう、不安な時に飲むお薬を処方してもらうっていうことはできるんですけど、その、死の問題のことに関して、精神科ができることは、薬ではなんか出せるんでしょうけど、カウンセリングとか、精神療法とか、そういうのは、精神科医はなかなかできないかなっていうか、なんか、そういうケースが少ないのかなとか思ったんですけど、僕みたいな。


うん、でもでも、先ほど、ほら、タナトフォビアとかネクロフォビアの話、あれは、でも、精神科の先生でも、そういうの扱ってる方いらっしゃいますよね。
そうでもないですかね。

タナトフォビアとかねネクロフォビアって、心理学用語なので、医学用語としてあるわけではなくて、うん、医学的な分類でいくと、どれになるかっていうと、その恐怖症の1つで、限局性恐怖症の1つっていうか、虫が怖かったりとか、何か集合体が怖かったりとか、先端なんかが恐怖だったり、そういうものの1つに数えられる、分類されるのかなと思ったんですけど、それに対して治療的なアプローチっていうのはなかなかできなくて、普段の主治医にも話はしてるんですけど、そうなんですかっていうぐらいで。ええ、だから、その、1つは、なんか、大学病院とか大きな病院に1度こう紹介してもらった方が、そういう症例とか持ってるのかなとか思ったりとか、あとは、今してるのは、オンラインでそういうカウンセリングじゃないけども、そういう人を対象としたカウンセリングやってないかとかって探したりとか、なかなかネットの世界でもなくて。

うん、でも多くの場合は死ぬっていうことをどっか見ないようにしてるっていうことの方が多いかもしれないんですよね。
逆に誰もが死ぬ。でもそれは自分とか自分の身近な人の死っていうのは考えてもしょうがないよ。なったらなったでその時だっていう人の方が多いんじゃないかなと思うんですよね。

そういうあれはありましたね。コメントというか。
僕もsnsとかでそういう話をしたりとかするんですけど。

■今を生きる


だけど一方では、やっぱり1つは、宗教的な考え方は、やっぱそこに、なんていうかな、1つの心がけ、一応準備はしておくってことがあるかなと思うんですよね。
死ということに対してはね。だからそれが、いわゆる仏教だったら極楽とかっていうのに行くのか、キリスト教だったら天国っていうことになって、死んでも大丈夫だよっていう風に信じていくっていうのが、単純な1つの宗教的な考え方かなとは思いますし。
うん、一方、もうちょっと、それはあまりにも、なんていうか、なんていうかな、ちょっと夢みたいなもんじゃないっていう風になると、じゃあやっぱりそういう、例え、やっぱり死では終わらないものがあるっていうか、死を超えて何か続くものがあったらそれを良しとしようっていうのが、もうちょっと違う考え方かなとかね。
聖書の中ではね、いわゆるこう、永遠の命とか言われるものがあって、その当時のユダヤの社会で永遠の命を得るにはどうしたらいいかっていうことが1つのテーマになって、でも、その永遠の命っていうのは、決してなんかずっと生き続けるっていうような命というよりは、とにかく生き生きとした命っていう風にも読み替えられるっていうか。
で、そういう時にキリストは、やっぱり永遠の命を得るにはどうしたらいいかって尋ねてきた人に、あなたが持ってる全財産を売り払って、そして私に従いなさいとかって言うんだけど、やっぱり自分が持ってるこう財産にとらわれているっていう、なんていうかな、そういうとこで却って生き生きと生ききれてないんじゃないかっていうのは1つあるし、それから、貧しい人に施すっていうことを通して、やっぱり自分以外の誰かのために生きるっていうことが、やっぱり自分のこう生き生きと生かすものになるんじゃないかっていうこととか、あるいは他の人と、やっぱ自分と同じような人で固まって生きるんじゃなくて、違う人と出会っていくっていうことで、また新しい命っていうかですね、生き生きと生きることできるじゃないかって、そういうことがなんか示されてる感じがして、やっぱり、なんていうかな、僕もあんまり、なんていうかな、天国、そりゃ最後にそういう世界があってもそれは問題ないし、そういう風にして捉えられてるっていうのはありがたいことかなとは思うけど、でも1番はやっぱり今をどう生きるかっていうのがとても大事だなとは今思ってんですよね。
うん、それがあれば、その道がもし道半ばで途絶えたとしても、自分自身はそれできっと後悔はないかなって思えるのが、1番大事なとこかなって感じはしますよね。

今を生きるっていうのは。うん。やっぱり、死のことを気にかけているだけでも、もう今は生きてないという気がするし。
うん。今も全力でその瞬間を生きていたら。うん、あんまり死のことは考えないんじゃないかなっていうか、今、今を大事にっていう風に思うだろうし。うん。先を見てないですよね、そういう人たちは。
うん、今ここを生きてるっていうか。ええ、うん、そう言われたこともありますね。やっぱり、そんなこと考えてないで。ええ。

ただね、それ考えてないでって言ってるのとも違って、私が思うのは、今を生きるっていうのは、決して死が、なんていうかな、死はどうでもいいとか考えてもしょうがないことだって言って、今目の前のことを集中するっていうよりは、なんていうか、死っていうのは、もちろんいつか来ることだろうと思うけど、そのことに向かっていくっていうか、なんていうか、もし、例えばね、聞いたことあるかもしれないけれど、例え、明日世界が滅びようとも、私は今日、リンゴの木を植えるとかっていう言葉があったりするじゃないですか。
あれっていうのは、もし、例えばリンゴの苗植えるっていうのは、明日を期待して、そして未来に向かってその実がなることを期待して植えるけども、でも、もし世界が滅びるって知っていたとしても、今日は植えてくんだっていうのは、なんかやっぱりそれがこう、今生きるってことかなって私は思っていて。
なんていうかな、死を見ないようにするっていうよりは、もう逆に覚悟してるっていうことなんだよね。
その今を生きるっていうのは、死をもういつも覚悟して、もし自分ももう今死んだら、きっと、心残りなることたくさんあるんだけども、でも、そういうこと以外にや、なんていうかな、やっぱり、ここ、ここに生きるしかないっていうか、不十分であるかもしれないけど、なんていうかなし、やっぱ、死で終わらない、肉体の死で終わらない命を生きてるんだっていう、1つの実感っていうか、なんか、そういう約束の中に生きてるかなっていう感じがするんですよね。
だから、うん。例えば、今、コロナの時にね、コロナの後に、老人施設とか、いろんな病院は、もう守りに入って、ご高齢の方に、なるべく大勢の人に会わないように会わないようにってして、少なくとも1日でも長くこの人に生きてほしいっていう風な、あるいは、その入所してる人が事故なく天寿を全うしてほしいっていう考え方をしてるけど、一方で、家族や友人や面会できる時間がものすごく限られてて。
なんていうか、そういうの、とっても残念だなと思うんですよね。
そうですね。で、むしろご高齢の方だったらなおさら、残された時間が少ないんだったら、やっぱりできるだけ多くの人に会える機会を設けてほしいなとか。
でも、なかなかそういうふうには高齢者の施設はいってない感じがして。
そうですね。うん。なんていうか、まあでも、人それぞれあるから、本音の部分ではやっぱり少しでも長く生きたいとか、そういう部分はあるでしょうし、誰か身近な人がいれば、少しでも長く生きててほしいとは思うけど、でもやっぱりせっかく生きるんだったら、やっぱり充実して生きててほしいなって思うし、それをなんとかこうサポートしていきたいとか、あるいは自分も少しでも、なんかこんなこと言っちゃう、あれ、でも、自分の心がこう求めるとこと、こう一致するようなことを、こう、ああいう風に生きていけたらいいなとは思って。

そうですね。コロナ以降、確かに変わっちゃいましたね、そこは。
今ですらやっぱり面会って厳しいし、もう時間が限られたりとか、ipadで面会しようか。で、デバイス使って面会するとか。ちょっとこうね、実感に欠けたような。それが昔に戻れなくなってしまって、それがもう当たり前みたいになってしまって。
お年寄りに限らず、普通の若い人でもなかなか病院内でね、会ったりとか。


そうです、できないみたいで。僕も入院してた時、完全な閉鎖病棟だったんで、本当に面会なんていうのはなかったし、そういう意味では、そう、そうですね、そういう、こう、充実した、できる、充実して生きるような、その他の人との、こう、交流とか、そういうものっていうのはなかなかなかったですね。
うん、1回入っちゃうと、もう、そうですね、もう閉鎖して、感染症予防っていう感じで。それが、この、1人1人の心が、もうね、そんなバリアを追って生きるんじゃなくて、生きれたらいいかなっていうのは、そうですね、世の中にはあるんだけどね。

そうですね、そうですね、確かに、死っていうことを考えるっていうのは、同時にやっぱりよく生きることを考えることと1つのセットなのかなっていう感じもするんですよね。

そうですね。

だから、前の時にはね、お連れ合いが、奥様が亡くなったらどうなるだろうかって、そういう考えだけど、怖いなっていう思いがあるっていうけども、もちろん、それは、そうそうなかなか拭えるもんではないかもしれないけども、でもなお、だとすれば、やっぱり、今こう生きてる、その瞬間瞬間、ちゃんとした夫婦として、あるいは1つの同士としての、こう向き合って生きれたらいいかなとかね、それ、そういうの。
でね、ちょっとふさわしいかどうかわかんないんだけど、こういう本がちょっとあってね、これは桃井和真さんっていう写真家なんだけど、はい、その奥さんが先に亡くなっちゃったんですよ。
それで、悲しみや辛い思いとか、そういうの、なんていうかな、でも、この中にあるのは、やっぱりこの方の中に、その妻の方、実際確かに亡くなられて、もう肉体としてはこう、触れ合う機会はないけども、でも、この方がやっぱりこの桃井和馬さんの中にこう生きているっていう、そういう、なんていうかな、うん。
なので、ちょっとこの、なんていうかな、
あれを、帯を見ると、これで読む気ないかどうかってのはわかんないけども、もしちょっとこういうのがあってね、それか、あとはね、ちょっと私もどっかでまとまった本としてあるかどうかわかんないんだけど、なんだ、あれ、なんだっけな、そう、若松栄さんっていう人がいてね、ええ、その人は私より1つ下なんだけど、ええ、東日本大震災があるちょっと前ぐらいに、やっぱりお連れ合いとか奥さん亡くされてて、はい。で、その悲しみや死っていうのを、こう、やっぱり受け止めながら、そして、東日本大震災で亡くなった人のことや、その家族が亡くなって悲しいて思ってる人たちに寄り添った、いろんな文章を書いてる方がいるんですよ。
はい。で、その人もやっぱり奥さんの死をやっぱりなんか受け止めながら、何かそれで終わらないものがあるっていうのを感じながら生きてる感じがして。
そ、何かちょっとね、読めるものがあったらまたご紹介したい。


はい。その著者でちょっと検索してみます。あと、お天気キャスターで倉嶋厚さん。止まない雨はないっていう、ええと、あの本もあれですよね、妻が先に亡くなって、うつ病になってしまって、その倉嶋さんの葛藤みたいなの書いてるなと思って、ちょっともう1回見返したいなと思ってるんですけど。
そうですね。そういう、妻を亡くした方の本って、へー、結構あるんだな。

でも、あのね、人生の中で1番の大きなストレスは、やっぱり伴侶の死っていうのはすごい大きなストレスだっていうのは、やっぱりよく言われてますから。
はい。やっぱりね、相当いろんな思いが詰まってるだろうなと思うからね。
僕も自分の妻、今亡くなられたら困るよとか言っていつも思いますけど、本当に俺もそう思いますよね。ていうか、さっきお話しし忘れたんですけど、その、健康診断で引っかかってて、両方の眼底。そうそう、うん、どっちか片方がちょっと出血してるのかな。なんか網膜の血管がちょっと破れてるみたいなところもあるみたいで。
で、僕も早くかかりつけの医者行きなよっていう話をするんですけど、なかなかいかないんですよ。
なんか、なんかもう、僕だったらもう心配になって、すぐ行っちゃうんですけど、そういう感じじゃなくて、私だって健康のことなんてちゃんと考えてるんだから、私行くから大丈夫だって、そんなことしか言わなくて、娘からも言うようにしたんですけど、ええ、なかなか、入学式終わって、行くわよって言ってたから、じゃあ、これ明日ですけど、やっぱ、血圧が高いってほど高いわけじゃないんですけど、ちょっと食生活っていうか、食の偏りというか、そういうものが、好きなものがあって、そればっかり食べちゃったりとかして、してて、多分その、結構、脂質異常症っていうか、それにもなってんじゃないかなと思うんですけど。どちらにしろ薬を飲みたがらないので。


なるほどね。そう、心配だよね、

自分の身体は自分で治すみたいな、運動と食事とみたいなこと言ってて、もうその、異常な状態に今なってるのに、それを受け入れてる、降圧剤を飲んだりしない。


そうなんだね。心配だね。

それか薬飲んでよって。飲めば防げるんだから。だから、しかも最初の兆候がね、そう、網膜って眼底出血みたいな感じでしてるから、もうほんと飲んでくれなきゃ困るっていう感じだと思うんですけど、なかなか僕も強く言えなくてあれなんですけど、自分でわかってるわかってるっていう。


なかなか。そうですね。

医者に行かないのは、ちょっと心配だね。

うん、そうなんですよ。

あれね、ご本人はそうやって大丈夫だって言ってて、いざ倒れた時にまさか自分が。
っていう人が結構多いっていうからね。

そうですね。大体そうなんですよね。倒れた時には全然自分で自覚がなかったりなんかして、病気の自覚は全然なかった。で、倒れたら、もうほんと自分としても困るし。ええ。自分も病気持ってんのに、どうしていっていいかわからなくなってしまうし。

はい。

だから妻は僕とも正反対というか、死ぬ覚悟はできてるっていうんです。


そうなんだ。


ある程度死を受け入れてるって言うんですよね。自分で死ぬ時は死ぬ時だみたいな感じで。


でも、その、ある人は言うけどね、死ぬときは死ぬ時だって言いながら、そう、なかなか簡単に死ねないんだよって言って、それで、そういう病気でね、倒れた時にね、やっぱり色々、麻痺があったり、うん、いろいろ、寝たきりになったりとか、それから、そういうケース、体が不自由になったりするケースがあるから、うん、やっぱりそういう、なる時はなるかもしれないけど、やっぱりそういうこと、もうちょっと心配した方がいいんじゃないかと思うけどね、後悔すると思うんですよね。うん、あの時言ってれば、こんなことにはならなかったっていう風になると思うんですよ。
死を覚悟してるっていうこと自体がすごいなと思ったんですけどね。


そうですね、僕と正反対で。うん。僕の父も、自分の死を前に、極めて自然体でいるっていう風に、こう、lineで送ってきたりなんかして。なんで死が怖くないんだろう。それで、いつ死んでもいいっていうか、その、寿命がきたら、うん、その時はその時っていう風に、こう、自然体で受け入れられるっていう風に言ったらそこら辺がやっぱり、うん、覚悟というか、うん、できてるんだろうなと思って。
うちの母も、父ほど重篤な病気を持ってるわけじゃないですけど、死んだ死んだ時のこと、考えたってしょうがないっていうし、そういう段階に差し掛かってきてる年代になってきて、目と足が今不自由なんですけど、でも、それは受け入れるしかないよねっていう話をしてくれるんですよね。
目がもう、どっちか失明寸前なんですよね。


そうなんですか。

加齢黄斑変性って言って、難病の目の病気があって、そうです、手術したりとかしたんですけど、やっぱり視力が戻らなくて。

そうなんですね。


うん。だけど、受け入れるしかないっていう、その心境に至るっていうのは、やっぱり。うんうん、なんでみんなそんなにこう、葛藤はあるんでしょうけど、最終的に覚悟ができたりとか、受け入れられる境地になるのかなと思って。
やっぱり全力で生きてるからなのか、その、うん、一生懸命、毎日毎日をやっぱり生きてるからなのかなと思ったりとかして。

僕なんかもう、とても、どの病気が来ても、もうちょっとこう、落ち込んで、立ち直れないような感じがしちゃうんですけど。
うん、そこはやっぱ違うなと思いましたね。


ね、そ、僕も自分のことになると、確かに一応、泌尿器科の病院にはね、行ったりしてるんだけど、そこで色々またチェックして、行ったからいいけど、ちょっと不安があって。病院行かなきゃいけない、歯医者とかもね、行かなきゃいけないんだなとかって思ってる。健康診断とか、人間ドックとかもそう。やった方がいいんだよねって思っても、なかなかできてないからダメだけど。

■自分を大切にし、他人を大切にする


でも、やっぱり、最近こう、ちょっと色々本読んでて、やっぱり聖書でもね、自分を愛するように、つまり、自分を大切にするように、あなたの隣人ってか、他の人を愛しなさい、他の人を大切にしなさいって。
あとで、自分を大切にするってことができなければ、他の人も大切にできないですよっていう風に言われるんだけど、そういう時に大切にするってやっぱどういうことかなって、やっぱりいつもちょっと考えさせられるんですよね。
自分を愛するっていうのも、自分をただ可愛がるっていう意味だけじゃなくて、ある人はこのなんていうのかな、すごく自分にこう厳しい人とかが、例えば生活を実施し、なんか目標のためにはちゃんと厳しく自分を律してるような人がいるのを見て、ある人があなたすごい自分に厳しいんですねって声かけたら、その人はいや、私は自分を大切にしてるだけなんですよっていう風な答えが返ってきて、そういうのもやっぱり1つの自分を大切にするっていうことだなって思ったりもするんですよね。
だから、やっぱり一生懸命生きるとかなんとかっていうのも、確かに全力で生きるってこともあるけど、でも、どういうのが本当に全力で生きることなのかって言ったら、やっぱそれはそれで、ちゃんと自分をケアしていくってか、自分のこともちゃんと、自分の体も心も大切にしていくことではあるとは思うんだよね。
で、それがなかなかできないっていうか。うん、でも、こうね、例えば大谷なんかもそうだし、昔のイチローなんかもそうだけど、野球のために全てを、もう全てはもう野球のためにあるっていうか、そういう生活じゃないですか。
そうですね。やっぱりああいうのは、ただ野球が好きだというよりは、もう自分はそのために生まれてきたんだ、そのことのためにもう全てを集中させてくっていう感じでやってるから。
だから、なんかね、やっぱりどんな人でも、本当の意味で、自分を大切にして、他の人も大切にできるってか、自分、例えば家族なんかいる人は、やっぱり自分を大切にすることは、で、やっぱり、家族を大切にするっていうね、ことでもあるからね。
そうですね、やっぱり、それは、なんかね、そういう、あんまり口うるさく言ったらね、あれでしょうけど、相手のことを心配するっていうのは、もしかすると、それが、ただ相手を心配するってだけじゃなくて、自分のことも心配して、相手を心配してるってことね、なってるとは思うんだけど、ちょっとでも、そういうね、寺田さんの気持ちが、奥様に伝わるといいですね。


そうですね。



うん、年上なんですよね。53なんです。はいはい。今まで目立った病気も特になくて、で、今回初めてそういうのに引っかかってっていうような感じでうんうん。

でも、まだ要観察、要注意ぐらい?


そうですね、かかりつけに行ってコメント書いてくださいみたいなのが、国から来てじゃない、市から来て、いま、その、用紙持って、かかりつけ医、一応かかりつけ医はあるんですけど、こういう血圧なので、診てもらったところがあるので、そこに行くっていう風には言ってるんですけど、その、食の偏りだけがあれなんですけどね。その他、運動もするし、他に習慣として別に悪いこと何もしてないし。
ただの食生活だけがちょっと。なんていうのかな。そう、生クリームとか、ああいうのが好きなんです。

そうですか。甘い甘い。

生クリームがたっぷりのパンとか。はいはい。甘い。なんかこう、ベタベタでも。

女性はね。

そう、そういうのに目がないんですよね。だから僕なんかはそれから来てるんだろうなとは思ってはいますけど。

でも、あれ。血圧やっぱり高めなのですか?

僕が初め高くて、薬を飲み始めて下げたんです。で、それ以来、僕は血圧安定してて、その、薬も増えずに来てるんですけど。妻は、元々そんなに血圧高くなかったんですけど、年とともにやっぱり上がってきて、毎日血圧も測ってるんですよ。
はい、やっぱり140過ぎて、下が大体85過ぎたあたりで、ちょっとずつこう、血圧が上がってきてるっていう感じなので、そういうのも気をつけなきゃいけないし、まだ引っかかってはいないけど、その、コレステロールとか結構、そうですね、脂質とか脂質異常とかっていうところも、ちょっとずつ、こう、ギリギリのラインに近づいてるっていう感じなので。今回はそれで引っかかったんだと思います。

はいはい。

眼底検査でまさか引っかかると、血圧の高い人だけこう、眼底検査をするようになってるんですけど、回されたら、やっぱり眼底に異常があったってことだったらしいですね。
それも薬、最初から飲んでれば、そんなにあれじゃなかったと思うんですけど。とにかく薬が嫌いで。

そうなんだね。いや、うちの妻もね、血圧高くて。

ええ、おっしゃってましたね。

もう200超えてたのよ。で、さすがにそれはもう前に毎月病院にもう行くようになって、薬もちゃんと。
そうですね、そういうのは、だから僕もそれはほんと驚いちゃったんだけど。
でも、さすがに本人もまずいと思って、今大体飲み続けてやってますけど。
でも、どっちかと言えば、やっぱりパンが好きでね。
ちょっと唐揚げとかそういうの好きだし、お菓子は好きだからね。
もう、しょうがないね。だから、でも、薬飲み続けながら、なんとか付き合ってくしかないでしょうね。
そうですね。うん、やっぱりご本人の自覚しかないよね。
それは、そうですね。うんうん。まあ、きっと、例えば聞いてみたらいいじゃないですか。このままで、僕はすごい心配だし、自分はそのね、血圧薬飲んでなんとか落ち着いてるし、でもそうなってほしいなって思ってるけど、やっぱり薬嫌いなの?って。ただね、私の知ってる人ではね、やっぱり医者に注意されてね、薬飲まなきゃいけないとか言われたんだけど、私は飲まないでやるって言って、ちょっとこう、太ってきた方なんだけど、ジムに通って痩せて、急に痩せたからどうしたの。なんて思ったら、いや、こう医者に言われて、医者が薬飲むしかないよって言われて、何くそと思って頑張って痩せたんだとかって言って、で、今、正常になったとか言ってたけど、意志強いなと思ったけど、やっぱり、どっかで、これはダメだって思わないとね。

そう、うちの妻も、運動と食事で治すって言ってたんですけど、それで、1回断って、薬を。ただ、やっぱ、異常なあれになっちゃって。うん、そうなんですよ。本当に本人が自覚しないと、うん、薬がどれだけ大事かとかっていうのって、わからないと思うし。

そう。

ねぇ。

で、それ、それはもう、なんとか、こう、あんまり口うるさく言うと、またあれだろうから、あるいはね、今、ほら、そういう血圧とか、コレステロール関係でも、いわゆるただカロリーを落としたりなんかするだけじゃなくて、美味しく、しかもカロリーを落とせる方法も色々あるみたいだから。そうですね、そういうのを少しでも、なんか、あれするしかないでしょうね。そうですね、歳とともにね、そういうのはだんだんそうなっちゃうから。

そうなんですね。僕も、精神科も入れると、ほんと山のように薬飲んでて。


そうですか。


腎臓関係で血圧の薬飲んでるし、うん、あと潰瘍性大腸炎っていう、そう、難病を持ってて、ただ、僕の場合は軽かったもんで、その、薬飲んでも別にどうこうなかったんで、それも薬一生飲まなきゃいけないし、なんか年とともにどんどんけ薬が増えてっちゃって、うん、特に腎臓とかだと薬が増えるなと思って。

ねえ。


いや、その、心配する気持ちはわかりますね、やっぱり、やっぱりね、家族の健康はね、そうですね、防げるものは防ぎたいというか。妻というか、娘を、高校1年だから、毎朝起きてお弁当作ってかなきゃいけないって、給食は中学までみたいなので、弁当今度作らなきゃいけないから、これから大事な時期っていうか、高校生だし。


本人が大丈夫だって言ってるうちはもうあんまり言えないけども、うん。でも、例えば今これぐらいだったら大丈夫だって思って、大丈夫じゃないと思えるのは、どうなったら大丈夫じゃないと思うの?ぐらいは聞いててもいいかもね。血圧150超えたらもうダメよって思うのか、あるいは脂質やコレステロールの値がやっぱりってなったら、ちょっとやっぱり注意しようと思うっていうぐらいはね。

そうですね。

最初に眼底に、眼底っていうか、目に来ると、最初、高血圧になるとか高脂血症になるとかで薬を飲み始めるっていうパターンはよくあるんだけど、眼底検査に異常が出たっていうから、びっくりしちゃってね。そうですよね。やっぱりね、血管弱いとこにね、出ますね。


全身の血管の状態を見れるのが、その眼底の網膜の血管だっていう風に、外から見える唯一のそういう血管だっているから、じゃあそれが全身の血管のことを表しているとすれば、大変なことだよなと思って。
全身の結果がそんなボロボロになってたら困るし。

他の毛細血管、脳とかね、色々あるったりするしね。


でも、定期的に職場では検診あるんですよね。そうですね。職場というか、職場、パートで今やってて、市の、市のあれで、特定検診ってか、僕もそうなんですけど、一応それはあるんですけど、僕は腎臓内科で3ヶ月に1回採血してる。そのくらいの頻度で血液検査だけはしてるので、大体全部の値は見れるんですけど、それで、自分の検査、腎臓の値がこの間ちょっと跳ね上がったのもあって、やっぱりそれ、飲んでる薬のせいじゃないかなと思って。
うん、主治医に話して減らして、また検査みたいな感じなんですけど。
薬も、いろんな薬やってると、そのね、あれがありますもんね、副作用は色々ですよね。やっぱり弱いところに出てくるのかなとか思って。父親と一緒で腎臓にダメージのできやすいのかなと思ってはいるんですけど。

(沈黙)

なんか自分のこういう病気というか、恐怖症っていうのは、あんまりこう、精神疾患があるなしに限ったものじゃないみたいで。
そうだと思いますね。なんか健常者の方でもそういう方たくさんいるし、精神疾患を抱えた方の中にもいるし、逆の人もいるので、あんま精神疾患は関係ないのかなとか思ったりして。
でも、いわゆる精神疾患じゃない人の中でも、死っていうのをやっぱり極度に恐れたり、やっぱ自分はなるべく、とにかく健康でいようっていうか。
健康神話っていうのも、やっぱり今ね、日本では強くあって、とにかく健康で長生きすることが目標って、恐れがなければ好きなことができないなんて言ってね。
うん、非常に健康にこだわる人がいて、で、そのためには食生活もちゃんと体に良いものを取ろうとかいう人はいるんだけど、でも、そういう人でも、やっぱり、そうやって体気を付けていたけど、自分は癌になっちゃいましたなんていう人もいたりして。
最初は、そういう人だからこそ、尚更、癌になったことを受け入れられなくて。
なんで私がなるのよ。もう食べるものをもっとみんなこう、添加物とかそういうのも避けるように。
でもやっぱりガンとかも、やっぱりそれもなる時はなるのよね。
そうです。うん。絶対ならないなんてことはやっぱなくて。
だから、絶対こうならないようになんていうことも、やっぱり思い込みの1つですから。
なんていうかな、準備できることはする。やっぱりどんなことがあっても、それが致命的なストレスにならないように、やっぱり心の中にちょっと備えておく。
どういう心構えで言えばいいのかっていうのを、もしお医者さんなりにね、こうアドバイスいただけたらいいのかもなって感じはしますけどね。
ただ、心理学とか精神医学のとこでも、いろんな方法とかがあるみたいで、僕はビクトルフランクルっていう人好きで読んだりしてるんですけど、昔、ユダヤ人の人で、ナチスの収容所から生還した人なんだけど、生き残って人なんだけど、精神科医になった。
その時から、その方は、自分の理論があって、それが収容場っていう限界、極限状態で、その理論が証明されたっていうようなとこで、やっぱり人間は意味をも生きる意味って、人間が生きるには、やっぱり意味が大事なんだっていうことをうまく言って、それで、収容所の中でも、その生き延びた人は、やっぱり自分がここ出た後にちゃんとやることがあるっていうふうに強い明確な意志を持ってる人は結構やっぱ生き延びてくけど、そのそうじゃなくて、やっぱり絶望しちゃう人たちっていうのは、やっぱりその体の免疫力も落ちちゃって結構死に至るケースが多いとかいうのがあって、やっぱり、で、そのフランクルっていうのは、それでも人生にイエスというとか、そういう本なんか、講演なんかもしてて、その中では、私たちはよく、人生こうだったらいいのにとか、私たちが人生に対して期待することがたくさんあるんだけど、ほんとは、私たちが人生から問われてるんだ、人生から期待されてるんだ、それに応えることが大事なんだってことで、それはちょっと宗教的に言えば、神から問われてることに応えるっていうことだろうけども、そういう風にして、人生を意味付けていくっていうことを大事にしてた方なんですよね。
ただ、その、その、フランクルは、ロゴセラピーって、自分のそういう精神的な療法をロゴセラピーなんて名付けてて、それは、なんていうか、人間っていうのは、なんていうかな、広場に出ると、その恐怖、そういう出た時に恐怖を感じる人に対しては、その心の中で、とにかく自分はもうそういうとこに出たら怖くなって縮こまってしまうっていうことを強く思いなさいって、思いっていうか、言葉に対して出しなさいって、そうするとかえって解放されるっていうな、いうのを書いてたんですね。
で、どっちかっていうと、僕もそういう傾向があって、例えば試験とか、なんかちょっとプレッシャー感じて試験に落ちる夢とか、あるいはなんか失敗する夢とか見ると、結構その時の方が安心するっていうか、落ち着いて臨めることがあったりするんですよ。
だから、どっちかっていうと、僕は結構ね、ネガティブな方を考えることで安心する方なんだけど、うちの妻はそうじゃなくて、やっぱりネガティブな方を考えるとネガティブになるって言って。
言霊っていうように、否定的なこと考えたら自分も否定的になるから、あまりそういうこと考えないようにして私はやってるって言って。
それもやっぱ人によるのかなとは思うんですよね。
そうですね。だからこう、僕はどっちかって最悪のこと考えると、それで落ち着くっていうケースがあるんだな。
で、そういうことを考えないようにして落ち着くっていう人もいるから、その辺はやっぱり人それぞれなのかもしれないですけどね。
でも、もしかすると、そういうね、お医者さんに死っていう個別なことで言うと、なかなかお医者さんも答えようがないのかもしれないし、薬で落ち着いけばいいんだっていうことだけになっちゃうかもしれないけど、もうちょっと考え方の中で、どういう考え方をすれば、自分に合った考え方って言えるのかってわかりませんか?っていうの聞いてみると、案外、あれですかね、そうですね。うん。
僕のことは多分すごくわかってる先生だと思うので、ずっと見てきてるので、どうすればいいかっていうところは答えてくれると思うんですけど。
その、死っていうものは、極限の、極限のストレスというか、うん、相当レベルの高いストレスで、自分のストレス耐性っていうものが結構、比べたことないですけど、うん、自分の自覚する分には、やっぱりストレス耐性を低いなっていう風に思っていて、それで精神疾患も発症したんじゃないかなっていう考えもあって、やっぱりストレスになかなか耐えられないっていうか、そういうメンタル、ええ、持って生まれてきてるもんで。
妻を亡くしたりとか、震災でもそうですけど、こう、一家全部家を潰されたりとかしてっていう、そんなストレスを、もちろんその人達は最初は受け入れられないと思うし、喪の期間っていうか、こう、悲しみに暮れる期間っていうのもあるんですけど、必ずこう再生してくるっていうのが、うん、すごいなと思って。
必ず立ち直ってきて、こう、もう1回こう、仕事なりなんなりに、こう打ち込むようになるっていうこと自体が、僕にはもう全然考えられなくて。
うん、そのストレスがもし来たら、その、入院なりなんなり、もう立ち直れないぐらいな、こう、打ちのめされ方をして、そっから先はちょっと見通せないみたいな感じになってしまうんだろうなっていう風に想像してしまうんですよね。
だから、そういうところから、こう、みんな立ち直ってるのはすごいなっていう風に思っちゃいますね。


うん。でも、立ち直ってる人もいるけど、やっぱり必ずしも立ち直れてないかなと思う人もいて。
立ち直るって言えば立ち直るのかもしれないけど、なんだ。
毎年ね、うちんとこにも、6月になるとね、お子さんを死産で産んじゃって、お腹の中でだいぶ大きくなってから、結局死んじゃったっていう方がいて。
で、やっぱりストレスというか、そのことでずっと、悩んだり悲しんだりしてきた人なんだけど、で、やっぱり、毎年、その、その時が来ると、やっぱり自分は思い出してしまうって言って、教会に来てお祈りしてく方がいるんですけど、で、10数年経って、ようやく、なんか、なんていうかな、そういう経験したもんだから、小さい赤ちゃんとか見ても、いつもそう思い出して、心がこう、なんかドキドキしたりか、涙が出てきたりするって言って、でも、それが、ようやく、10数年経って、なんとか普通に戻れた感じがするって言って、今は、元々保育士もやってた方だから、その、保育園に勤めることができるようになったって言ってたんですよね。
でもやっぱそこに至るまで、やっぱり色々話を聞いたり、その人が話することも聞いてくれる友達もいたようだし、そういう仲間がいるっていうことがやっぱり支えになったのかなって感じがするんですよね。
だから、その立ち直るっていうのも、その人の強さっていうよりは、やっぱりそういう悲しい気持ちやその辛い気持ちを吐き出せる場所があって、それからそれを聞いてくれる人たちがいて、それから、たまたまちょっと自分をこう俯瞰して見てくれる人がいるとか、そういうことがあってできることかなって思うので、それも決してなんか個人の強さじゃないんじゃないかなと思うんですよね。
どっかこう、そういうのに負けまいとかかな、いつまでも悲しんじゃいけないとかって思うのも多分違うことだろうなって思うんで、やっぱ悲しむべき時は悲しみ、怒りもあるだろうし、自分に対する後悔もあるだろうし、いろんなそういう思いをちゃんと見つめなきゃいけないような気もするんですよね。
うん。だから、それから、乗り越え方って言うけど、それも人それぞれ違っていて、うん、やっぱりそれをこう、自分と同じ人はとか、自分と同じ境遇の人は1人もおそらくいないから、どんなに立ち直った人がいても、それと比べてしまって自分はダメだなって思ったら、そこはいけないんだろうなと思うんですよね。
あくまでも参考程度に聞いたりなんかする程度であって。
でも、中には本当、自分の気持ち、本当にこういう人が書いてくれてるとか、ここの人のそういう気持ちが自分にもしっくりくるっていうのもあれば、そのことを通して、なんかもしかすると癒されることもあるんだろうなと思ってんですよね。
うん。
なんか一概にみんなそれぞれ乗り越えてきたっていうけど、乗り越え方も人それぞれだし、同じような境遇にあった人でも、乗り越えていく人もいれば、乗り越えられず今も苦しんでる人もやっぱりいるわけですよね。
はい。ただ、無理に乗り越えようとしても、結局なんかこう、傷を負ってるのを見ないふりして生きようとするんだったらば、それもやっぱり後からまた色々ねなることでしょうから、やっぱり自分の心の中に起こってるいろんな動きはちゃんと見ていかなきゃいけないと思うんですよね。

そうですね。

そう、70代で奥さん亡くした方がいて、それから1年ちょっとしたら再婚した人がいたのね。
それで、みんなで早すぎじゃない。とかいう風に言ったら、その人はいや、だってさ、寂しいんだもんとかって言ってさ。
で、再婚するのか。ああ、それはそれで、そういう道もあるのかとは思うけどね。

よくそんな

ね、15、6、下の方とね、なんかお付き合いが始まって、結構あったんだけど、70代でもうそういう人いるんだと思って。
で、それは乗り越えたっていうか、乗り越えたのかもしれないし。
うん、でも、寂しい気持ちをそういうことでなんとかごまかしたり、乗り越えたんだろうね。

うん、なるほど。

なんていうか、もしそんなふうになったとしても、この人はもう乗り越えてるから、自分も乗り越えなきゃいけないって思う必要もないっていうことですね。
うん。そして、そうやって、でも癒される時は、必ず自分の心に向き合って、あるいは色々感性があれば、ちゃんとこう、悲しむ時に悲しむっていう、あるいはそして、他の人の痛みも知っていくことができるならば、きっと癒されると思いますよね。

うん。

朝ドラって見てます?見てないですか?

いや、見てないです。

おむすびはもう終わっちゃって。そうなんです。
そうそう、4月になったから、今、アンパンっていうので、やなせたかしっていうアンパンマンの作者の関係のドラマが始まって、ええ。で、なんかちょっと今聞いてて思い出したの、まだ4話目なんだけど、月火水木、5話目か、月曜日から始まって、で、そのやなせたかし自身のお父さんも先に小さい時亡くなっちゃって、はい、それで、おじさんの家に引き取られてきたんだけど、お母さん、お母さんで、再婚するって言って、やなせたかし置いてっちゃうんだよね。置いて、嫁いで行っちゃう。で、そういう中で、四国の田舎に行って、最初、なんか東京もんとか、なんかいじめられたりもするんだけど、仲良くなった女の子がいたんだけど、その女の子のお父さんが亡くなったっていうのが今日のストーリーであって。
で、その時にそのお父さんが死んじゃったっていうことはなかなか受け止めきれなくて。で、お父さんが帰ってくるって信じて、駅まで迎えに行くんだよね。
はい。それで、駅に迎えに行ったら、結局お父さんは降りてこなくて、ほんと、お父さん死んじゃったんだっていうの。
こう、またがっかりしてるとこに、やなせたかしは小さい時からやっぱり絵が上手くて、
自分の帽子を娘にこう被せて、じゃあ行ってくるねって言ったその場面をやなせたかしが絵にして女の子に渡してるっていうところがあってね、それが本当のことかどうかわかんないけど。
それで、その後、その、なんだ、近くのおじさんが、パン屋さんがいるんだけど、パン屋さんがあんパンを売りに来てってか、みんなで食べようって言ってた。
食べさせて、そしてそのパンを食べて、なんかちょっとこう、ほっこりしてるっていうので終わってくんだけど、やっぱりそういう、こう、自分で乗り越えなきゃっていうことじゃないんだなっていう。
やっぱり、誰かと一緒に生きる、それから誰かと一緒に食事をするとか、そういうことを通して、大丈夫。
なんていうかな、お父さん、確かに寂しい思いはあるけども、でもそれで自分の人生は終わらないぞっていうのが、なんかなんとなくこう伝わってくれば、その先を生きていけるのかなっていうね、そういう感じがして。そう。
そうですね、1人になっちゃうといけないなというのは思いますね。
でも、僕なんかもそうですけど、いつの間にかこう、思考が歪んだ、認知が不安になるというところがあるので、やっぱり他の方とこう会話をしていないと、自分がこうフィードバックしてくる、きたものに対して修正、自動的に修正してるんだなっていう風に自分では思ってて。
1人でいると、やっぱりなんか変な方向に考えが進んでいっちゃうなっていうのを感じますね。

そうですね、

うん。なので、その、妻はね、いなくなったらっていうのをね、どう生活していっていいかわからないっていうのは、やっぱり孤立してしまうことの怖さみたいなのがあって、今のうちにこう、うん、話せる相手をたくさん作っていきたいなそうですね、ヘルプして大丈夫なところ、たくさん作っておかないと、うん、いざ、なくなってしまうと、孤立してしまうなと思って。
でもね、お嬢さんもいるしね、そして、それがね、そ、今は親の立場だし、子供を守んなきゃとか、子供のために生き生きしなきゃいけないって思う気持ち持ちもあるでしょうし、子供のためにしっかりしなきゃとかね、そういう気持ちもあるかもしれないけど、でも、結構、なんかいろんな人の話聞いてると、子供からかえってこう、励まされたり、子供から力づけられるっていうこともあるんだよねなんていう話聞くと、うん、やっぱりそこも、なんていうか、もちろんお子さんだってそう。
そういうお母さんが亡くなったら、当然悲しかったり寂しかったりするけど、やっぱ、少なくとも、そこでね、お父さんと娘はやっぱり一緒に生きてく、一緒にこの悲しみを抱えながら生きていかなきゃいけないんだろうなとは思うし。
うん。きっとそれは相互にそういう、どっちが上でどっちが下っていうことなく、きっとお互いに助け合って生きるっていう。
それか、何気ない一言が、なんか慰めあったり、励ましになったりすることも、きっとあるんじゃないかなと思うんですよね。
うん。
うん。でも、そうですね。教会もね、お連れ合いをなくし、40代の時なくした方とか、30代の時なくした方とか、結構いらっしゃるからね。
そうですか。うん。未亡人だった人とか、結構いるね。
うん。あと、男性でも、奥さん、40代時に筋ジストロフィーっていうか、そういう筋萎縮性の病気になって亡くなった方もいて。
うん。もちろんご夫妻で健全な健康な人もいるけど、いや、意外とこう、若い時ね、子供が高校生の時亡くなったとか、中学生の時亡くなったなんて方もいるから、そういう方、よくね、生きてきたんだなと思って、頑張ってきたんだなとは思いますよ。

うんうん。

なんとか奥さんが少しでも健康を保てるようにしてますね。
ええ、そうですね。うん。あと、あれですね、その話をするときに、こうしなきゃダメだ、ああしなきゃダメだなんて言うと、やっぱり耳傾けてもらえないかもしれないけど、素直に気持ちを無で伝えるしかないですよね。
はい。それで聞いてもらえるなら。聞いてもらえなければしょうがないけど。
そうですね。

娘の方が多分言うの得意だし。


あ、そうですか。


あとこう、lineで根回しして。なるほど、やった方がいいかな。自分から言うよりは。

はいはい。ええ。

うん。


またいつでもあれですので。


はい。ありがとうございました。

はい。


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